富士山雪上訓練

1990/4/21~22
メンバー: 松元・山口・秦・川崎・宇賀田・古川・鈴木(博)・(直)立木
江本・尾原・小泉・小宮・本郷・長谷川・村林  長谷川 記


4月21日夜7時半、雨の新宿を僕達後発隊は富士山に向けて出発した。霧濃い林道を途中から松元氏のパジェロに先導されキャンプサイトにつくと、既にテントの中には酒宴の用意がされていた。この酒宴ではいろいろな事が話題になったが、その中でも最高に盛り上がったのは、山口氏と江本氏を中心になされたエロティシズム論争のときだろう。全裸と下着姿はどちらがよりエロティックであるかと言うことについて、白熱のと言ってよいほどの論議がなされ新人の僕にとっては、非常に学ぶところが大きかった。唯一残念だったのは、鈴木博道氏の不参加であろう。氏がこの席にいたら、論議がより深いものになっていたことは確実だからである。
翌朝は打って変わって晴天。歩いていると汗ばんでくる。五合目を過ぎたところで立木、尾原、鈴木博道、直樹の各氏と合流し雪上訓練を行う。滑落停止、グリセード、ビレイ等の訓練を行ったが、松元氏の気合の入った指導に、山で生きていく事の厳しさを垣間見たような気がする。
昼食の後、訓練を行っていた沢の上部にある、雪壁を目指し全員で歩き始める。先頭を登っていたのは江本氏で僕はその後に続く。江本氏は雪壁の脇にある側稜にルートを取り、小宮氏の「ザイルをつけたほうがいいですよ」と言うアドバイスにも耳を貸さず、ノーザイルで登り切ってしまう。その気迫に押されて僕も後に続く。
下から見ているとそう難しくはなさそうなのだが登り始めるとやはり少し怖い。最上部の出口でスタンスが少し崩れ、スリップしそうになった時はヒヤリとした。それにしても我が会の最年長者である江本氏の気迫には恐れ入った。その後下降ルートを捜していると、雪壁を登り切った尾原氏、少したって立木氏の姿が現れた。これには又々驚かされた。その後鈴木両氏も登ってきた。小さな雪壁とはいえ、ほぼ垂直の壁である。よくあんなところを登ってきたものだと思う。小さな登攀ではあったけれど、与えられたインバクトは小さなものではなかった。
雪上訓練、前夜の酒宴を含めて、僕にとっては意義のある山行になったと思う。天候は午後から崩れ、下山時には強い雨に叩かれ、全身ビショ濡れ、少し疲れてもいたが、気分の方はそれほど湿ってはいなかった。

 

1990/4/21~22
本郷 記


4月21日新宿のいつもの場所に、我々第2陣は、4時に集合。ところが村林さんが来ない。時間と場所の連結が取れておらず、結局村林さんは、第3陣で行っていただく事になり、5時に富士山へ向け出発する。出発した時は、雨ではあるが富士山に近付くにつれ、雨が上がる。
そして霧の中、富士山へ到着。1陣の立木さんと無線連結をとるが、雪が多くて、5合目までは車で登れないようである。3合目でテントを張り、3陣を待つ事になる。
テント場へ向かう途中、1陣の無線が入りっぱなしになり、立木さんの「まいったなあー」という声が何度も聞こえてくる。(「まいったなー」の理由は、テントの中での博道さんの5分間隔のおならのせいであることは言うまでもない)10時頃、3陣が到着し合流する。テントの中で宴会後1時頃寝る。
翌朝、5合目にて1陣と合流し、雪上訓練となる。5月の剣岳へ向けての訓練ということで、みんな真剣そのものである。午前中は滑落停止、午後からはザイル操作を、松元さんの指導のもとで行う。途中グリセードなど行い、みんな童心に帰ったようであり、なかなかおもしろかった。
3時頃から雨となり下山。ぐしょぐしょである。体調が悪くテントで寝ていた泰さんと合流。帰りに焼肉食い放題へ行き満腹にして帰る。

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