八ケ岳赤岳

1990/12/7~9
メンバー:宇賀田・秦・本郷・小宮・三上  三上 記


カラカラとカラビナのぶつかり合う音が、とても好きだ。気持ちがピンと張り詰める。その同じ音が、危険なルートから戻って乗る人達を下で迎える時は、全く違って聞こえる。心からホッとする。
7日、小松山荘、8日、行者小屋に幕営した後、宇賀田、秦、本郷、小宮は(三上はテントにて留守番)アイゼンを着け、近くで自主トレーニングをして時間をつぶす。夕方、4人が戻ってきて、夕食の支度にかかる。
おでん、がんばれ玄さん、しば漬け、赤飯、ジフィーズ、焼売、おお、豪華だ。このメンバーで目一杯、愛について語り明かしてしまった。いやぁー、盛り上がる、盛り上がる。ここに、その内容を記述できないのが、本当に残念だ。人を真剣に好きになることってすごい!久々にそう思った。うらやましい。独りの身に師走の風は冷たい。「酒、もう無いですよ」本郷さんが空瓶を振った。「どうする?山小屋に行って、少し買って来ようか」宇賀田さんが、それぞれの顔を見回す。「私、買ってきます!!」皆の気が変わらないうちにと、お金を握り締め、私は山小屋へと走った。
テント生活は楽しい。赤プリや京王プラザのスウィートルームより(泊まったこと無いけど)ずーっと楽しい。そして、皆でつついたラーメンは、5つ星のフルコースより(食べたこと無いけど)、おいしかった。
明けて8日、秦、本郷、小宮、南峰リッジ。宇賀田、三上は地蔵尾根から赤岳へのコースだ。装備を着用し、わしわしと雪を踏み締めて登る。いい調子だ。途中いくつかのパーティと擦れ違ったが、比較してもペースは劣っていない。「もっとゆっくり行っていいよ。あんまり無理するとバテるぞ」宇賀田さんのアドバイスにうなずきながら、正直言って私は焦っていた。一大決心の、そして大目標の正月西穂高まで、あと半月と少ししかない。せめて基礎だけでもつけておきたい。ここで多少無理をすれば、この次はそれが自分の実力に、きっとなるだろう。そう信じていた。事実、富士山、丹沢、水無川、同、勘七沢と確実に力がついているのが、はっきりとわかる。何より、精神がどーんとたくましくなってきている。そりゃ、高岡さんや木元さんに比べたら、こんなこと書くのも恥ずかしいけど。いいんだ、大切なのは自分自身さ。
次第に傾斜が急になり、急登が続いて来る。どんなに足が重くても、息が切れても、何度滑り落ちても、もういやだと思ったことは一回もなかった。体制を整え、項上をしっかりと見つめて、冷たい空気を思いっきり吸い込む。そして再び足を一歩進めるその瞬間が、たまらなく好きだ。岩と雪だけの厳しい山並みの中、色とりどりのウェアに身を包んだ、いくつかのパーティの笑いさざめく声が遠くに聴こえる。その、何ものにも決して替えることの出来ない、澄んだ透明な世界に、今、自分が存在できることをとても嬉しく思う。健康に生んでくれた両親に、感謝してしまう。
赤岳山頂に着き、コーヒーを沸かして飲む。しばしの憩いの後、恐怖の下山だ。さっきは結構かっこいいことを書いてしまったが、こと下りに関しては、全く上達していない。「どうやって、降りたらいいんですか」□について出るのは、そんな台詞ばかりで、気がつくと地蔵になってしまっている。宇賀田さんも、よく毎週懲りずに付き合って下さるものだ。三上は、千葉方面に足を向けては寝られません。
突然、ザザーッと、上の方から男の人が滑り落ちてきて、5mほどで止まった。続いて、ひとり、またひとり。「い・・・今のは一体、何だったんですかぁ!?」「あれはねぇ、滑落停止の訓練だよ」「はぁー、なるほど。あー、びっくりしたぁ」
行者小屋へ戻ると、8人は既にテントを回収している最中だった。今回は、半ば強引にここまで連れて来てもらった。私のわがままを聞いて下さったこと、感謝しています。心の中で深く、頭を下げる。急いで荷物を詰め込んで、再び歩き始める。
写真でしか見たことのない、来週の谷川、一ノ倉沢を心に描きながら。
ところで最近、私の会社では、「三上が、ああ懲りもせず、毎週冬山なんぞに喜々として出掛けて行くのは、付き合っている奴が山男だからで、そいつがいつも一緒に違いない」というとんでもない噂がはぴこっている。そして、山行の連絡等のためかかってくる電話を、全て彼氏からのものだと勘違いし、図面を引いたり、電卓を叩いたりする手が止まって、耳がダンボになってしまうそうである。金曜の夜に、タイムカードを押す私に向かって放たれる「頑張れよ」「しっかりやれよな」という激励の数々は、実はそういう意味だったのねぇ、と大笑いしてしまった。

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