谷川岳幽ノ沢中央壁左フェース/一ノ倉沢南稜

1989/7/1~2
メンバー:中川・桜井・立木  立木 記


6/30夜、入山、一ノ倉沢出合いにて幕営とする。しばし宴会の後、早々に寝ることにする。4時起床予定。しかし寝不足ですっきり皆起きれず、4:50起床。
天気は快晴である。出合いの一ノ倉に圧倒された。こんなにも一気にそそり立った岩壁があるだろうか。自分があの岩壁を登るのかと思うと歯がガタガタとふるえて、とまらない。
朝食の後いざ幽ノ沢出合いまで、遭難者のレリーフに見送られながら歩く。出合いまで思ったより近い。出合いよりはかなり雪渓が残っており、途中カールボーデンの雪渓ブロックがものすごい。一瞬、冬に遭難した津田氏の事が頭をよぎる。
取付パーティーはいないようだ。幽ノ沢全体で嵓一パーティーである。
ブロックを越した上で取付の準備をする。不思議と恐怖感はない。きっと幽ノ沢の明るさのせいだろう。yuunosawaルートファインディングは、中川、桜井両氏にまかせ、私はもっぱら客人よろしく登るのみ、やがてこのルートの核心につく。中川、桜井、立木の順に行く。
2~3m直登そして右へトラバース、ほとんど垂直に近い。そして核心の右上へそりかえりぎみの岩を乗越す。両氏の動きを下から見ると壁の傾斜もゆるくトラバースもらくそうに見えるが実際なかなかである。
そしていよいよ私にも3級のピッチをさせてもらうことになった。3級とはいえトップは緊張感がちがう。必死である。20m位登って右か左かルートがわからなくなり、右の5mほど上部に新しいボルトがうちこんである。それにつられるように右へ登ると、ちょっとしたテラスだがその上は垂直の草付きで登れない、しかたなくボルトでセルフビレイをとり桜井、中川両氏に登ってきてもらう。正解は左ルートのようだ。
一旦5mほど下へ懸垂して左へのぼり返す。ルート図を見るとあと3級が3ピッチほどで終了点となっている。3級ばかりと見て、多少気持が楽にになったところで最後にどんでん返し、垂直ですっぱり切れおちたところを左へトラバース、大股を開いての一足がふみ出せない。思いきって乗りうつる。上へ乗越すといいテラスがあり、ここが終了点らしい。とりあえず3人で完登の握手をする。
下からガスが上がってくる。明日は天気は悪そうだ。しばらく休み堅炭尾根を下降する。踏みあとは明瞭であるが長く特に下部が登攀後の下降路としては非常に疲れた。正直明日は休みたい気分である。
幽ノ沢出含までもどってくると、スノーボードにどうやらオロクらしい、まわりには体のでかい男ばかりとりまいている。間違いなく一月に転落した津田さんのようだ。半年もの間、雪の下にいたのだ、きっとブロックの崩壊で出てきたのだろう。心の中で冥福を祈り通りすぎる。一の倉出合にもどりもう一度3人でカンパイ後今日帰る桜井氏を水上まで送る。
夕方より雨が降り出す、中川氏と明日、雨がひどければとりやめようということで話がきまる。今日の登攀の疲れでしばし熟睡、12時ごろ松野、鈴木両氏が着く。
しばらくビールを飲んだ後寝る。5時ごろ外で松元さんがまだ起きていないという声で目をさます(当日、松元さんが都岳連で谷川へ来ると聞いていた)。外は小雨である一の倉はガスでまったく見えない。中川氏と相談して、とりあえずテールリッジまで行ってみよう。そして様子を見ようということで決定、しかしどうも中川氏は行けば登ってしまいそうな感じである。
南稜テラス着、だれもいない早足ザイルをつけ取り付く。中川氏がリード、6mほど登るとそりかえりぎみのチムニーがある。ルートグレードとしては低いと聞いていたが雨でぬれていてこわい。ステップもホールドもすべる。つるっと行きそうで不安定である。
途中リッジを登り最後の5-を左手はアンダーホールド、右手はリスに指を入れ、左足で立ちこむ。なかなかふんぎりがつかない。思い切って立ちこむ。なんとか完登、草付きをこえ懸垂地点まで行き、雨も降っているので休まず下降、こんな長い距離を懸垂するのははじめてである。
しかし私はテールリッジの下降の方がこわかった。あのいかにもすべりそうなスラブを思うとそっちの方が先になった。中川氏に言って懸垂させてもらう。
やっと一の倉出合に着く。2日続けての登攀はきつい。しかし、私の心は、完登した喜びで一杯でありそして一の倉沢のあのそそり立った壁のスケールのでかさに人間の小ささを思い、武者震いしたことを忘れないだろう。

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