剣岳

1988/5/3-8
新谷・岡本・松野(計画書では池ノ谷~剣沢パーティ)
山口・鈴木(光)・養田 (同、小窓尾根)
中川・桜井 (同、ドーム稜)


5/2(夜) 上野発
↓ (新幹線)
長岡
↓ (急行)
富山 駅で仮眠
↓ (富山地鉄)
上市
↓ (タクシー)
3日早朝 馬場島着
馬場島発8時30分。しばらくは晴れ間の多かった天気も白萩川の取入口に着く頃から曇り空となってきた。これより後、翌4日の夜まで天候は悪くなる一方であった。
取入堰堤手前で靴を脱いでの渡渉。雪解け水は冷たいなどというような生易しいものではなく、足の皮膚を突通して骨の髄まで達するような激痛におそわれた。
続いて対岸に渡されたワイヤーロープを利用しての渡河。次に雪の上を歩いていけるかと思う間もなく赤谷尾根側を大きく高巻く。これが、急で不安定な登りであり、体力を消耗する。巻き終わって白萩川に降り立てば池ノ谷出合いは目の前である。
しかし、池ノ谷ゴルジュに入って行くかどうかで迷う。眺めるかぎりトレースは見当たらず、しかも雪渓と左右の岩壁との間のすき間が大きそうである。ゴルジュを進んで雪渓が切れているため途中で引き返すいうことにでもなれば、時間的にも今日中に池ノ谷に入ることは不可能である。
一方、体力と時間は余計にかかるものの、小窓尾根の高巻きルートを取れば確実に池ノ谷に入ることが出来る。3日間の日程しかない我々はもしもの場合のあるルートを取るより、安全確実なところで後者を選ぶことにした。
池ノ谷出合いから30分程白萩川の雪渓をつめ、小窓尾根取り付く。下部と上部樹林帯に一部夏道が出ていたがほとんど急な雪渓登りであった。むしろ夏よりは歩きやすいといえる。乗越までおよそ2時間半程の登りである。乗越は風が強いため早々に小窓尾根パーティと池ノ谷、ドームパーティに分かれる。
池ノ谷、ドームパーティ5人は乗越しからただちに急な雪渓を下降、小窓パーティ3人はそのまま尾根を登っていく。なお、乗越にはあちらこちら分散して7~8張程テントがあった。。
小窓パーティは20分ほど登った地点でザックを降ろしテントの設営場所を探すことにした。いくらか風当たりの弱い雪面を整地しテントを張った。
テントの中に入って池ノ谷を行く2パーティとトランシーバー交信。どちらも息も絶え絶えというような感じの応答が返ってきた。
この日、2パーティとも二股の剣尾根末端にテントを設営。夕方より雨が降り始めてきた。

4日
風が強く、雨も降り止む気配がない。
小窓尾根を先に進む気持ちにはとてもなれないがかといって沈殿する訳にもいかない。あまり「ちゅうちょ」することなく小窓尾根を諦め、池ノ谷へ一旦降りてから新谷パーティに合流し三ノ窓経由で剣沢まで行くことに計画を変更、トランシーバーで連絡する。
中川、桜井は果敢にもドーム稜目指して出発していったとのこと。
池ノ谷への下降は急ではあるが適当なルンゼが見つかったのでそこを降りる。二股はすぐ近くに見えるのだが歩き出してみるとこれが思いのほか遠い。傾斜はないもののウンザリしてくる程単調で疲れる登りであった。二股で新谷パーティと合流。
雨も時々みぞれに変わりドーム稜の2人が心配になってくる。さすがにドーム稜パーティも状況の悪さからとうとう登攀を断念し下降してきた。
3パーティとも合流し12時30分二股出発。池ノ谷左俣を登る。三ノ窓着3時30分。ガスが濃く期待していたチンネは影も形も見えずジャンダルムのP1がボンヤリ見える程度であった。
三ノ窓から池ノ谷ガリーをつめ、池ノ谷乗越を経て長次郎を下降する。雨は本格的になり下着までずぶ濡れになる。
驚くことにこんな天候の中6峰フェースに取り付いているパーティがいた。他人事ながら事故を起こしはしないかと気になった。
剣沢に着いたところでテントを張る。風は強いしテントの中には池ができるしでとても快適な夜を過ごせるというような状態ではなかった。

5日
下山予定のこの日は昨日とうって変わり上天気となった。八ツ峰の登攀を目指して居残っている鈴木(光)、桜井の2人を後に6人は下山する。
剣沢をしばらく下りハシゴ谷の手前にある小沢を登る。雪渓のおかげで思いのほか楽に乗越に出られた。ここで、鈴木、桜井パーティと最後の交信を交わし内蔵ノ助平下降。
夏には深いヤブにおおわれる内蔵ノ助平も明るく広々とした雪原に変わっていた。黒部川もほとんど雪渓の上を歩くことができたので夏よりもはるかに速く黒四ダムに着く。
最後の黒四ダムへの登りもやっぱり雪渓登りであった。雪渓にはじまりっ雪渓に終わった感のある山行でありました。

鈴木(光)・桜井パーティ報告

5日
八ツ峰下半部の取付きを偵察しにテントを離れたほかは一日濡れた装備などを乾かしながら過ごした。

6日
2時起床4時出発。
八ツ峰1峰への登りは3ノ沢にルートを取る。下部は傾斜が緩いが上部に登るにしたがって傾斜が強くなってくる。最後の方には50度~60度程の急な雪壁となりダブルアックスでなければとても登れそうにない。ところがバイルが2人に1本しかないため、やむなく右側のリッヂに逃げることにした。
1峰~5峰までは特に困難なところはなく一部懸垂下降に注意を要する程度でなんといっても体力が要といえる。
5・6のコル着、5時。雪洞が残されていたので中にテントを張る。

7日
4時起床、6時30分出発。
6峰Cフェース剣稜会ルートを登攀する。
壁は岩と雪が交互に出てくるような状態で岩よりはむしろ雪壁の処理の方が難しかった。登攀途中から小雪が舞い始め、6峰ピークに到着する頃には本格的な吹雪となり10mも離れると相手の姿もかすんで見えなくなるほどであった。
5・6のコルまではルートの確認に手間取りながら下降。懸垂下降ではザイルが風にあおられて空中に大きく弧をえがくような状況の中1時30分ようやくのことテントに帰り着くことができた。
当初、下山予定にしていたのだが急な積雪で雪崩の危険を感じたためこの日も5・6のコルに泊まることにした。

8日
2時起床、4時30分出発
濃いガスのたちこめる中、ラッセルをしながら下山。3時間半ほど歩いて剣沢小屋に到着。小屋で2時間休憩し、別山乗越を経て室堂に下山した。

交通費のこと
黒四ダムへ下山したパーティは1人あたりおよそ25,000円、室堂へ下山したパーティは30,000円あまりかかった。
「セコイ」話かもしれないがなんとも交通費が高い。次から剣岳へ入るときはこの点について考えたほうがいいのでは....。

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