一ノ倉沢滝沢リッジ

1988/3/20~21
メンバー:山口・中川・桜井  山口 記


3/19
東京を夕方に出発。マチガ沢の通称マムシ岩基部にテントを張る。

3/20
予定より一時間近くも寝過ごしたため急いで準備を終え6時に出発。
テントを出たところで偶然にも後発の佐々木夫妻に出会う。(夫妻はこの日1日で東尾根を完登したとのことです。)
曇り空に小雪が舞い風も強い。天候悪化の兆しのなのか、ただ回復が遅れているだけなのか判断に迷う。たぶん後者であろうと思いつつ先へ進むが一ノ倉沢本谷を登るにしたがい晴れ間が広がってきた。どうやら勝利の女神は微笑んでくれているようだ。
目指す滝沢リッジは一目瞭然、我々の行く手に高々と聳え立っている。取付きまでは南稜末端を左に回りこみ本谷を左斜めに横切って行くことにする。
先行パーティのトレースもあり雪も安定しているようなので何も考えずに歩いていると突然後から「雪崩だー!」と叫ぶ声があがった。ビックリして前を見ると雪煙が上がっている。肝をつぶしリッジに向かって走って逃げようとするものの雪に足をとられて思うようにすすめず焦る。ちょうど夢の中で何者かにおわれて逃げようともがくのに身体がいうことをきかず前に進むことの出来ないもどかしいようなそんな感じに良く似ていた。
しかしよく見ると滝沢スラブをしきりに落下するチリ雪崩が風に巻き上げられたものを見まちがえただけと分かりホットする。
滝沢リッジの取付点はリッジ末端を滝沢側に回り込んだスラブ帯である。登攀開始8時00分。我々の前には3人と単独の2人パーティが先行していく。
まず、スラブを左斜めに登りリッジ上に出る。後はブッシュ交じりの岩稜をほぼ稜線通しに登っていくが、ところどころ出てくる岩場は結構悪い。また木登りが多く腕力を使う。
最初の核心部ともいえるオムスビ岩まではおよそ10ピッチほどであった。ところでここまでの我々の登り方はトップがザイルを延ばしたら後の2人は同時に登るなどして時間を短縮することに心がけることにした。以後も困難なピッチを除き基本的にこの登り方を続けた。
オムスビ岩は右側の凹角を登るのだが出だしが意外に悪い。岩には1~2cmぐらいの厚みで氷が付着している。桜井トップ僕(山口)と中川がラストで同時に登るが、さてと取付いたとたんこの氷がはがれてまず落ちる。
照れ笑いでごまかして再度取付くがまたも落ちる。いよいよ真剣になり3度目の正直でようやく登れた。
オムスビ岩の上からようやくリッジ本来の姿になってくる。このナイフリッジが尽きてブッシュ交じりの雪壁を登ったところがホルンピークで、ピークの次は今まで以上に切れ落ちたナイフリッジとなる。高度感がすばらしい。
ナイフリッジは小岩峰に繋がっており、この岩峰がP3である。ルートは岩峰を右に回りこみハーケン連打のハング気味の岩を人工で越すようになっているが、ここを登るパーティは少ないようである。
まず、ルンゼ状スラブにスッパリと切れ落ちた雪壁を下り気味にトラバースし、岩と氷のミックスした難しい壁を直上する。時間待ちで身体が硬直している上、高度感のでるこのピッチはラストでも非常に緊張させられた。おまけにピッチ終了点での確保は不安定であった。この頃から懸念していた時間待を強いられることとなった。
P3基部のテラスは安定してはいたものの、風が当たり寒い。手袋がカチカチに凍り付いてしまったほどであった。
待っている時間は余計長く感じられるものだ。午後もだいぶんと時間が経過しており、明るいうちにドームに到着できるものか不安になってくる。この先P3からドームまでがリッジ中最も切れ落ちたナイフリッジが出てくるという。当然ビバークできるところが無いものと考えていた。時間つぶしに西黒パーティとトランシーバー交信を試みるもどうしてもつながらなかった。
さてP3を突破してまもなくルート中最も鋭いといわれるナイフリッジが始まる。確かにスゴイとしか言いようの無い程に切れ落ちている。
3ピッチほどは安定した確保点も得られず3人のうち1人でもミスをすれば間違いなく全員引きずり込まれてしまうだろう。こうなるとザイルは登攀のための道具というよりお互いの心を一つに結ぶための、いわば絆となってくる。自分の動作一つ一つに全神経を集中させての行動であった。
このとき西黒パーティからの交信が入る。我々のパーティを心配しているのであろう。応答を求める声がしきりであるが、すぐに応答できる状況ではない。
いよいよドームがすぐ近くに迫ってきたが、同時に夕闇も迫ってきている。しかし急ぐことは危険でできないため、もどかしい。最後ドーム直下の急な雪壁を右にトラバースして、ドーム基部にようやくにして到着。午後6時30分あった。
このドーム基部は岩と雪壁の間が空洞になっており、下の雪を広げて平にすると快適なビバークサイトになった。

3/21
今日は単独クライマーと一緒に行動することになった。我々はドームを登らずにAルンゼにルートを取ることにした。
出発6時00分。まず雪壁を右にトラバースして直上するとAルンゼを見下ろす細い雪稜に出る。岩にはボルトが打ち込まれており妙なことに懸垂用にザイルが残置されていたが、末端が雪に埋もれて引っ張られているため使用することはできなかった。
30mほどの懸垂でAルンゼに降り立つが、予想以上の積雪に驚く。腰までもぐるほどで雪崩ても不思議はないようだ。数週間前にクライマー2人がAルンゼで雪崩にあい行方不明になる事故が起こったことは記憶に新しい。もしこのあたりで雪崩に流されたとしたら残置されているザイルは彼等のものであろうか。
後から中川、桜井の2人が懸垂で降りてくる間に僕と単独者で先にトレースを付けておこうということになり単独者が先に進みだしAルンゼ中央に向かって雪面をトラバースしていく。
僕も一緒に続いていこうとしたのだが急に身体が動かなくなってしまった。2人同時に行動することは1人よりも雪崩を誘発しやすくなると思ったからであり、また本心を白状すれば人を先に行かせて様子を見てやろうという浅ましい気持ちもあったのである。
もっともこの状況で我々3人だけの場合は3人が合流してから確保支点を確実にし、ためらうことなくザイルを出して行動していただろう。この点に関しては重大な反省点として今でも僕の心に引っ掛かっている。
いよいよ行動を開始するがトラバース中の不安といったらなかった。Aルンゼはもっと狭い急なルンゼとばかり思っていたが、これが意外に広く大きなルンゼである。30mほどトラバースしてルンゼ中央部を直上するのだが、コルに着くまで気を抜けない。自分は通過しても今度は後の2人の姿が目に入って来るまでは落ち着かなかった。
コルから国境稜線まではもうすぐである。最後の登りは年長者の僕に譲ってくれた。おそらく最初で最後になるだろうなと思いながらステップを踏んでいったが、ついに国境稜線が目の高さになった時たわいもなく目頭が熱くなってきてしまった。
国境稜線着7時30分。代わる代わる握手を交わし互いの健闘をたたえあう。登攀中はただ寒いだけであったのに、この時稜線を吹き抜ける風はさわやかであった。
肩の小屋で西黒パーティと合流。一緒に西黒尾根を下山。センター着、10時30分。

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