我が憧れのヨー口ツパアルプス

1988/7/23~8/8
メンバー:中川・桜井 桜井 記


7/25

目を覚まし、窓を明けて見上げると朝もやの中、その頂稜に朝日を受けて光り輝くモン・ブランがいきなり私の視野に飛び込んできた。
前夜、チューリッヒよりジュネーブ経由でシャモニー駅に着いた我々は、小雨も手伝ってキャンプ場まで行く元気も無く、駅前のインターナショナルというホテルに泊まった。シーズンにはまだ少し早いのか、人気のないホテルの食堂でパンとコーヒーだけの朝食を済ませてロジェールのキャンプ場へ向かう。
ここはシャモニーの町から歩いて20分程でお湯の出る流し場、水洗トイレ、シャワーも有り、簡単な食料品や生活用品も手に入る。管理舎に行きパスポートを提示して番号札をもらってテントを張る。
荷物を解き、キャンプ生活に必要な物をメモしてシャモニーの町まで買物に出掛ける。スネルというスポーツショップに、我々日本人の面倒を見てくれる神田さんというクライマーが勤めていて、登山者名簿や計画書が置いてあり日本からの登山者はだいたい立寄って記入していく様である。
山岳保健の手続きをお願いして店の中を見て歩く。ウェアーやザックなどはカラフルな物が多く、日本に無い物があり見ているだけでも楽しい。私はこちらで記念になるものをと思ってシャルレのピッケルを買った。夜は9時過ぎても明るいのだが、明日は早いので8時に寝る。

7/26

6時始発のエギュー・ド・ミディ行きのロープウェイに乗るつもりで5時に乗り場に着いたのだが、既に列が出来ていて我々は2番便になってしまった。
標高差2800mを1回の乗り換えで上がってしまう。ここは展望台になっていて、スナックもあり観光客で賑わうが、標高は3800mもある。
ロープウェイーの着いた北峰から鉄橋を渡り中央峰へ、さらにここにくり抜かれているトンネルを通り外へ出る手前でアイゼンを付けてヴァレ・ブランシュへ続く雪稜を下る。
ここまで来ると展望が一気に開けてモン・ブラン、モン・モディ、モン・ブラン・デュ・タキュール、我々の目指すツール・ロンドそしてダン・デュ・ジュアン、グランド・ジョラスなどが、写真でしか知らなかった山々が一望出来る。
ツール・ロンド北壁に取り付くべくヴァレ・ブランシュ~ジュアン氷河を2時間程登り返すのだが(1330m)長旅の疲れか、高度のせいか、かなり疲れた。
このルートは、近藤等の“アルプスの空の下で”でも紹介されているが、上部と下部で左右にずれている雪壁を狭いクーロワールでつないだ様な高差500m、斜度50度くらいの雪壁である。取り付から50mほどで下部のベルクシュルントに達してここでザイルを着ける。
表面30cmぐらいは雪であるが、その下は硬い氷の斜面になっており、傾斜はさばど無いので両手のアックスの頭を持ってスピッツェを突いて登る。途中のランナーは取らないがビレーポイントは表面の雪を退けて氷にアイスハーケンを打ち込んで作る。
中間にあるクーロワールは日が当らないせいか表面が硬い氷になっているので、このピッチだけはシャフトを握ってのダブルアックスにして途中でランナー1本を取って登った。難しい所は無いのだが、もうばてばてでビレイしている時が休めるので早くビレイの番にならないかとばかり思っていた。
40mザイル14ピッチで雪壁が終り、左から岩場を回り込んでピークに立った。マリア像が有るこのピークはフランスとイタリアの国境線上にあり、我々が登る予定のモンブランのイタリア側にそびえ立つブレンバフェイスがよく見える。
下降は、一般ルートをしばらく下りて途中のクーロワールをジュアン氷河に下り、ロープウェイの駅まで登り返し、ジュアン~ブァレブランシュ氷河をロープウェイのゴンドラから下に見ながらミディ駅へ。さらに乗り換えでシャモニーに降りた。

7/27

朝から雷を伴う雨でテントの中で停帯。いずれにしても昨日の疲れでは今日は休養日である。当初2番目にモンブランを狙うつもりであったが、ニ人ともバテているせいかもう少し体を慣らそうということで明日はシャルドネ針峰へ行く事にする。

7/28

ロジェールのキャンプ場から歩いて15分程のプラの村からバスに乗り、ツールの村まで行き、ここから3時間程のアプローチでアルベール1世小屋に着く。ここまではジョッギングシューズで来る事が出来るハイキングコースなので日帰りや小屋に一泊して下りて行くハイカー達も多く小屋の前は賑わっている。
昼過ぎに到着して、パスポートを預けて宿泊手続きを済ますと晩飯まで時間を持て余すのでシャルドネのアプローチとなるツール氷河を途中迄偵察したりボルダーで遊んだり日向ぼっこしたりで時間をつぶす。
小屋の前で一昨日ミディの駅で会ったイギリス人と会い、彼の話だと明日は天気が悪いと言う。こちらでは天気が崩れると夏でも吹雪かれたりするので、雲の動きにはひどく気を使い、悪天の兆しがあると山行はほとんど控える様だ。
18時に夕食を取り、20時に寝る。部屋は起床時間が同じ者同志が同じ部屋に割り当てられ、朝食も午前2時から用意してくれる。

7/29

午前2時に起きたが、例のイギリス人が、こんな天気の日に出かけていくなんてクレイジーだと言う。朝食を済ませてしばらく考えていたが、雲もかなり厚いので停滞にして再びベットに戻る。7時に起きて雨も降っていないので取り付きまでツール氷河を偵察に出かける。
曇空を見上げて登れそうな天気に“あのイギリス人好い加減な事云いやがって”と思ったが、昼頃小屋に戻ると強い雨が降って来た。ワインを飲んだり、記録をつけたりして時間をつぶし夕食を食べて19時に寝る。雨はまだ降り止まず明日の天気が気になる。

7/30

2時起床。朝食を済ませ2時半に出発。心配した雨も上がり月が輝いている。夏とはいえ日が落ちると気温も下がり、アイゼンが必要な雪の堅さになる。月明かりとヘッドランプを頼りに昨日辿ったツール氷河を行く。
夜明け前、氷河の向こうに浮び上がるピラミダルなシルエットを見上げると緊張感と期待感が徐々に高まって来るのを感じる。
我々の目指すシャルドネ針峰北壁中央側稜というルートは近藤等の“アルプスの空の下で”でも紹介されているが、モンブラン山郡の中でも代表的なアイスルートとされている。
5時、東の地平線から日が登り出す頃、取付きの下部のベルクシュルントを越えた所からザイルを結び登攀開始。傾斜はさほど無いが砕けた岩が混じった、かちかちに凍った雪壁を両手のアックスのシャフトを握って氷に叩き込み、アイゼンの前ヅメを蹴り込みながら登って行く。
途中の鋭利な岩にシュリンゲを掛けてランニングプロテクションを取りながら登り、2ピッチでこの砕石帯を抜けて雪壁になる。本来のルートはもっと左でスノーリッヂに出る様だ。
我々の登っているリッヂの左側は北壁になるがそのほぼ中央に巨大なセラックの障壁がのしかかる様に張り出している。丁度この辺りから見ると左頭上にその氷の障壁が今にも崩れるばかりに迫って来る。
雪壁は表面20cm程は柔らかいがその下は堅い氷である。表面の雪をどけてアイスハーケンでビレイポイントを作る。2ピッチで再び岩混じりとなる。どこでも登れるが、出来るだけ右寄りにルートを求めザイルを伸ばして行くと第一ツルムと呼ばれるⅣ級程の岩場が出てくる。ここには残置ピンも有り、凹角の岩を越える。
続く第ニツルムは右から回り込み、狭いクーロワールをダブルアックスで抜ける。再び雪壁となるが、あと4~5ピッチも登ればピークという感じだ。この斜面でアイスハーケンを打ち込むのにバイルを振っていたらメガネに当たりつるを折ってしまった。
仕方ないのでシュリンゲでメガネを結んで登り続ける。(ちなみにこのメガネはシャモニーに下りてから瞬間接着剤で修理して帰国してもかけていたがこの年の十月、丹沢のキャンプで何故か失ってしまった。)
雪壁を抜け出てフォーブス山稜に上がると反対側のアルジェンチュール氷河の対岸にクルト、ドロワット、ヴェルトの北面がのぞまれ、岩場を回り込んで1ピッチで畳2枚程のピークに立った。
ピークに着いた時、45mザイルで17ピッチであった。ここはフランスとスイスの国境上になる。下降は西稜を辿るがかなり急傾斜でコンテニュアスであるが、気は抜けない。途中2図の懸垂をしてアダムスレイリーのコルという所からツール氷河側に向きを変えて右下りに下りていく。
やがて傾斜も大分緩くなり、安全地帯に達した。後はクレバスに注意しながらアルベール1世小屋を目指す。
ピークに立った時は、緊張感からさほどの感動も感じなかったが、安全圏に辿り着いてピークと降りて来たトレースを追い、ギラギラ輝く雪面を見上げて、今自分がアルプスの真っ直中にいるんだ、俺の青春の輝いている時なんだ、と感じこれまでの山行、さまざまな友の事、そしてこの山行を共にしたパートナーのことを思い、何か熱いものが胸に込み上げて来るのを感じた。
サングラスに隠れ、涙は中川さんに気づかれなかったと思うが。

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