2017.3.19-20 大菩薩山域長峰の踏査

2017/3/19-20
長谷川 単独


発端はつい最近の事だ。小菅から牛の寝道を登った時。毎年この時期、小菅側から長い尾根を登ると誰もいない雪道歩きを楽しめ、恒例にしているのだが、玉蝶山の急登を越え一息ついたところで、ふと左手の藪に小さなプレートを見つけた。道標?
「長峰へ 未整備で踏み跡不明瞭」などとある。
何が言いたいのだ。道があると示したいのか。逆に道になっておらず行くなと言うのか。覗けば、藪に覆われた支尾根らしきものが下りている。踏み跡はあるような、ないような。
胸騒ぎで、しばし佇む。この先に何がある?
連休が来た。大月から9時発、小菅の湯行きのバスに乗る。便は少なく、選択肢はない。それで尾根の起点へ向かう。昭文社の山地図によれば、深城ダムと葛野川ダムの中間地を起点とし、西の石丸峠のやや手前へ伸びる尾根があり、灰色の破線で何らかの道状を示している。前半に「カネツケノ頭」と「白草ノ頭」なる小ピーク。その先の長い後半はただ「長峰」の2文字が置かれているだけ。ネットを検索すればそれでも少数の記録はあり、呼称は「ながね」が正しいらしい。しかし最近の記録はなく、情報量は乏しい。素晴らしい事には、日本登山大系にも出ていない! わからないというのは、尊いではないか。
深城ダムを過ぎて短いトンネルを抜けるとすぐ、左手に川を渡り山に向かう道があった。山の斜面を見れば、右の尾根へ向かってどうやら踏んでいる気配。起点だ。違いない。開始十時半。
けっこうな傾斜だった。しかも土が柔らかく足が流れる。そうか、踏み固められた「道」ではなく、ただの斜面なのだ。沢の詰めと同じ状態。一度安定した場所に数歩退がり、バイルを取り出す。喜ぶがいい伴よ、早くもお前の出番だ。さあこの先に何がある?
見上げれば落ち葉のかぶった急傾斜のところどころに立つ灌木のいくつかに、古いテープ。そこを目掛け段の地形を拾いじぐざぐに登って行く。じきに露岩のようなカンテ状のもの。そこから右に道のような帯がどうやら伸びている。地図にも尾根を右からまく道が示されてはいるのだが、見れば途中でざれて消え入りそうでむしろ危なかしい。
進路は尾根に取った。道を歩く事が目的ではないのだ、多分今回の自分は。

小一時間続いた急登がようやく落ち着く気配が見え、バイルから片手ストックに持ち替えた。やや進むと、狭い鞍部に小さな祠が現れた。こんな道も定かでない所に山の神。いや、これは道としての需要があった名残なのだろう。とりあえず道中の無事を願い、手を合わせる。ここで尾根を巻いて続く道があるのがわかるが、無視して尾根通しに進路続行。程なく展望のやや開けた小ピークに着いた。
前方の林の間から見える山並みは、小金沢連嶺。右手の地には青い松姫湖で、その上に長く伸びる尾根は牛の寝だろう。そことの合流点は遥か先でまったく見えない。尾根はここで緩い傾斜を大きく右へ曲がるらしく、コンパスと地図を合わせる。堆積した枯れ草葉を蹴散らし踏み漕ぎ、やがて見えて来る黒い藪のピークを目指す。その先に何がある?
直下は、そこそこ辛い急登だった。尾根をやや左から巻き気味に登ると、林の中の展望の乏しいピークに着いた。これが「カネツケノ頭」だろうと思うのだが、それを示す何物もない。以前の記録では名を書いた板が立ち木に付いていたらしいのだが、朽ちたのだろうな。いよいよ廃道の様相だ。
それにしても、腑に落ちない名ではないか? ある記録では「金っ気」ではないかとの推測だったが、そういう方向かも知れない。この周辺には「小金沢」や「金山」鉱泉だのがあり、何かしら「金」に関わりがありそうなのだ。金の鉱脈があったとしたら「金付け」であったかも。この道自体、金に関わる里の人が小菅や青梅と結ぶ為の、生活路として拓かれたのではないのか。そしてその里が廃れた時、道もまた廃れ自然に還って行きつつあるのだろう。だがかつて歴史に埋もれたゴールドラッシュがあったか、と妄想しながら山を歩くのは少し楽しい。
その後しばらくなだらかな枯れた道が続くと、尖ったピーク。「白草ノ頭」にはほんの短い急登で出た。ここから山の様相がやや変わり出す。寒い。そして地には雪が付き始めた。

どうやらここで丁度尾根の中間点になるらしい。開始から2時間半。残り半分として、3時半から4時頃には抜けられそうだ。そうすれば石丸峠から直接上日川に向かい、途中の小屋平で日没寸前にテン場を確保できるだろう、と目論む。
小さなアップダウンを幾つも繰り返した。遠くに見える牛の寝尾根は、依然遠いままでなかなか近づいて来ず、この長峰そのものの全貌もいっかな見えない。目の前の小峰を一つ登っては、その先にあるものを確かめる。多分人間は何十万年も昔直立した途端、その先に見える何かを求めて歩き出し、やがて世界の果てまで行き着いたのだろう。おれのやっている事は、ただの本能なのだな。
様相がまた少し変わった。行く手にやや険しげな尾根。だがその左に顕著な、明らかに人の手が入った巻道がある。ここは試しに道を進んでみた。桟道が朽ちたりしていたが、結果通れて尾根筋に復帰。がすぐにまた急登が現れた。しかも笹竹の藪に覆われている。地面は雪。その下土は半ば凍っている。足は滑りやすく、笹竹を手掛かりにしようにも、枯れて砕け折れてしまう。
右手にバイルを持った。伴よまた力を貸してくれ。尾根のやや左に薄い跡があり、そこからジャングル戦に突入する。右手のバイルを地に叩き込み、左手のストックを突き刺しながら、四足で這い登って行く。踏み跡を探すがほとんどわからない。観念して、藪の少しは薄気な方へあたりをつけ這い進む。何度も目を刺しそうになり、鬱陶しくて仕方がない。もがきながら何とか四足のまま急峻なブッシュ帯を這い続け、ようやく出た時、一時間以上も立っていた。
傾斜は緩み、普通に直立歩行できる。藪はなく少しの灌木が生えた、細い雪道の尾根が伸びている。その奥に牛の寝の黒い山影が、ようやく近づいていた。
どうしようか? あえぎ歩きながら考えている。4時半を回っていた。6時間で抜けられずにいるのだ。位置的には残り僅か。牛の寝の距離感から30分もすれば届きそうだ。が、抜けてあちらの尾根に出れば、吹きっさらしの風にあたり、ビバークするにはそこから更に一時間程度歩かねばならないだろう。日没を過ぎる。更にこのジャングル戦で、実質8,9時間歩いたように消耗している。
小さな鞍部で荷物を置いて、先の様子を偵察した。そこからまた藪が復活している。突っ込んだら、抜けきるしかない。
泊まろう、と決めた。荷物の位置までもどりながらあたりを見回す。山の只中だ。むしろ楽しいのじゃないか?

小さな鞍部にテントはぎりぎり収まった。四方に丁度木が生えて、張り綱を結べた。水は残り2.5リットルあり、何の心配もいらない。赤ワインを体に補充する。
夜中に空が騒がしくなっていた。風が山並みの上を飛び巡っている様子。うわあ、うわあーと叫び声を上げながら、一匹の「風」が長い尾をはためかせながら上空をうねる姿が思い浮かぶ。多分見る力がある者にはそう見えるのじゃないか、と思う。時に近づいて、うわあああっ、と威嚇しテントを軽く揺さぶっては消えてゆく。だがじかに襲ってくる気配はなかった。飛ぶことが楽しくて、おれなどどうでも良いのだろう。そう思いまた浅い眠りに入る。
朝、4時を回って起床した。

すべてを撤収した時には、完全に明るくなっていた。あえてそれを待っていたのだ。再開する。地面は夜の間に凍りついており、始めからアイゼンを付けておいた。
すぐにまた、藪に塞がれた。四足で頭から突入。時々伸び上がって方向を確認し、押し進む。この藪の先に何がある?
登った先には確かな道があった。抜け口の立木に見覚えのあるプレート。「長峰へ」示す方を振り返れば、あるのはたったいまの自分の格闘の跡。
牛の寝まではほんの20分で到達したのだ。つい笑ってしまった。足を休めるようにゆっくりと石丸峠へ歩きながら、振り向いて長峰の姿を探した。結局どんな姿の尾根だったのだ? しかし見えないのだ、これまた不思議な事にさっぱり。おかしな山だったなあ。
これでもう、今回は終了でいいなと思った。予定では二日目は源次郎岳への継続だったが、ここから更に十時間近い行動は長いしきつ過ぎる。「その先」はまたいつの日にか。しばし取っておこう。

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